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『変態村』(原題:Calvaire)

Posted by arnoldkillshot on 03.2011 ホラー 0 comments 0 trackback
今回はベルギーの文字通り変態ホラー『変態村』を紹介したいと思います。身も蓋もない邦題のせいで未見の人にはアホなホラーや倒錯した内容を想起させ、観た人には「それなんて『悪魔のいけにえ』?」と切り捨てられがちな不遇の作品ですが、実はかなり宗教的で、その倒錯と変態性のうちにも単なる悪趣味を超えた精神的なテーマを見いだせる傑作です。それは単なる死や苦痛への恐怖を超えた、自己犠牲への恐怖。痛みを与えられることよりも、自ら痛みへ身を捧げてしまうことにこそ、真の恐怖があるのです。

『変態村』(原題:Calvaire)
2004年・ベルギー、フランス、ルクセンブルク 
監督:ファブリス・ドゥ・ヴェルツ

あらすじ:
老人ホームの慰労などで生計を立てている歌手のマルク(演:ローラン・リュカ)は、クリスマスのコンサートのために一人車で向かうが、暗い森の中で車が故障し立ち往生してしまう。そこへ自分の犬を探しているという奇妙な男ボリス(演:ジャン=リュック・クシャール)に出会い、ペンションに案内される。
その宿の主であるバルテル(演:ジャッキー・ベロワイエ)はコメディアンとしての過去を持ち、同じ”アーティスト”としてマルクを歓迎する。車が修理されるまでの間、親切にマルクの世話を焼くバルテルだったが、彼はマルクに「決して村へは行くな」と警告する。が、それを聞かずに村へ散歩に出たマルクは、豚小屋で村人たちが豚と獣姦しているところを目撃してしまう。その夜、バルテルはかつて妻に逃げられて以来ユーモアを失ってしまったと語り、マルクは彼に請われた通り歌を歌って彼を慰める。
しかし次の日、マルクはバルテルの不審な点に気がつく。するとバルテルは取り乱し、車を壊そうとする。「なぜ戻ってきた?」バルテルはマルクを逃げた彼の妻と混同しているのだった。バルテルはマルクを襲うと、髪を刈って妻の服を着せて彼を監禁する、彼の”妻”が二度と逃げ出さないように…。やがて村人たちもバルテルの“妻”が戻ってきたことを知り、狂気に駆り立てられるのだった…

考察:
しかしまあ『変態村』って凄いタイトルですね。原題の”Calvaire" はキリストが十字架に架けられた“ゴルゴタの丘”、転じて“受難”の意なので、邦題はかすりもしないのですが……それでも、この映画を見た人ならこの『変態村』という邦題にも納得できると思います。豚の獣姦をはじめとして、男であるマルクを逃げた妻と思い込むバルテルや変態村の人々、彼らのマルクに対する仕打ち。そして全編にわたって響く耳障りな豚の悲鳴…これを見たなら「変態だ…」と思うのもしょうがないってもんです。

でもこの作品の変態性は行為すなわち肉体的にあるのではなく、より精神的なところにあります(それが一部の人に「つまらん!」と思わせるところでもあるのですが…)。変態村の人々は、背徳や倒錯を好んでいるわけでも、もともと変態性欲をもっているわけでもないように思えます。おそらく彼らは異常にならざるを得なかったのです。彼らは欠けたものを求めるあまり、狂気じみた渇望に迷い込んでしまった人々――そこへマルクが現れ、彼らの狂気の犠牲となる…しかし彼の“受難”は、他のホラー映画でただ次々と殺されて捨てられる犠牲者たちとは異なる、かけがえのない意味があるのです。それは犠牲の上の“救済”。原題の通り、キリストが人の罪を購うべく十字架に架けられたことと同様の、救いのための“受難”なのです。
このような宗教的なテーマが根底にあることが、この『変態村』が他の『悪いけ』系ホラー映画と一線を画するところでもあるのでしょう。

なぜ変態村の人々は変態なのか?もとい、なぜ彼らは狂気に陥っているのか?それは、彼らが救いを欠いているから。彼らに愛を与える存在がいないからなのです。
変態村には女性が一人もいません。そして逃げたバルテルの妻が、バルテルのみならず変態村の人々にとって重要な存在であることがほのめかされます。
バルテルの妻が逃げたことが彼らの狂気の原因かはわかりません。しかし彼らが女性、いやそれだけでなく彼らにとって欠けた存在をすべて彼女に投影し、気が狂うほどに渇望していたことは示されています。

だから彼らは代替物を必要とする。豚との交わり、豚をいなくなった犬だと思い込む男、そしてマルクの存在。
冒頭から老人ホームの人々から”求められる“マルクは、この変態村でも求められる…逃げた妻の代替物、すなわち愛と救済の代替物として。彼らが人間の女や、いなくなった犬の代わりにした豚と同じように。そのことは、マルクが豚のような悲鳴をあげることに象徴されています。彼らは失った救いを代替物に求める、死に物狂いで、彼が悲鳴を上げているにも関わらず。
変態村とは、救いを失い狂気に陥った人々の世界なのです。それは神を失った世界と言い換えてもいいでしょう。そして失った救いを取り戻すべく、犠牲を求める。

そこでマルクの立場に考えを転じるとき、原題の意味が明らかにされます。
彼が変態村の人々の犠牲になることで、人々は救いを(あまりにも救われない救いではありますが)得ることになる。彼の受難は、キリストの受難と同じく犠牲によって救済をもたらすのです。それはあまりにも理不尽で恐ろしい犠牲ですが、もしかしたら本当の恐怖は、泣き叫ぶことをやめ、自ら犠牲をになることを受け入れたその時――救済のために自らの犠牲が必要だということを理解し、自らを放棄する時の静かな諦めと決意の時にこそあるのかもしれません。それは作品を最後まで見た人にはわかると思います。
そう考えると、マルクがクリスマスの日に変態村に迷い込んだことも意味身長ですね。
このように主人公が不条理にも犠牲者あるいは殉教者の役目を背負わされる恐怖というテーマでは、『ウィッカーマン(もちろんオリジナルの方ね)』や『マーターズ』にも重なる点だと思います。

さて、こうして”変態村”を見ると、この村は本当に“異常”なのでしょうか?これは狂気に陥った架空の村だと言えるでしょうか?我々の世界も”変態村”と大して変りなく、常に真の救いの代わりに代替物で満たしているにすぎない混迷の世界なのではないでしょうか?本当はいつもそこらじゅうで豚の悲鳴が聞こえるんじゃないでしょうか。

以上で『変態村』の考察を終えます。
当ブログはファブリス・ドゥ・ヴェルツを推し続けます!


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