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イーダ/私とあなたの中の“わたし”

Posted by arnoldkillshot on 05.2014 映画タイトル:あ行 1 comments 0 trackback
『イーダ(原題:Ida、英題:Ida-Formerly Sister Of Mercy)』
2013年 ポーランド
監督:パヴェウ・パヴリコフスキ
出演:アガタ・チュシェブホフスカ、アガタ・クレシャ、ダヴィド・オグドロニク、アダム・シシュコフスキ、イェジー・トレラ 他

あらすじ:
1962年、ポーランド。戦災孤児として修道院で育ったアンナ(アガタ・チュシェブホフスカ)は、修道女となるための誓願の儀式を間近に控えていた。そんなある日彼女は、彼女の唯一の身寄りであるおばの存在を聞かされ、誓いを立てる前に会いに行くよう院長に薦められる。静謐な修道院を初めて離れ、外の世界の喧噪に旅立ったアンナ。検察官であるおばのヴァンダ(アガタ・クレシャ)は、アンナの本当の名はイーダ・レベンシュタインであり、ユダヤ人である彼女の両親は戦争中に殺されたと語る。両親の墓を見たいというアンナだったが、彼らの死体すら未だ行方不明だった――こうしてイーダの両親の遺体を捜して旅に出た。神の教え以外何も知らないアンナ=イーダと、男と酒に溺れるヴァンダの正反対の二人。両親をかくまっていた男の家族がひた隠しにする過去の出来事や、旅の途中で出会ったサックス吹きの青年リス(ダヴィド・オグドロニク)、そしてヴァンダの自堕落な生活に隠された悲しい秘密に、アンナの心の中は静かに揺れ動く。
感想:
『マイ・サマー・オブ・ラブ』のパヴェウ・パヴリコフスキ監督が母国ポーランドで初めて撮り上げた作品。親もなく修道院の生活しか知らなかった少女が初めて外の世界を旅し、自らの出生に秘められた歴史の闇と世界の素晴らしさを同時に垣間見るロードムービーです。初めて『マイ・サマー・オブ・ラブ』を見た時は女性監督かと思ったくらい、この監督は少女の揺れ動く感情をとらえ、少女の瑞々しい生命に力強いメッセージをこめるのが巧い人。今回も神の道しか知らない初々しい少女のまなざしを通して、私たちが当たり前のように生きているこの世界への驚きを再発見させてくれます。ポーランドの歴史が背景にありますが、この少女の新鮮なまなざしのおかげで映画のジャンルとしても歴史的なメッセージとしても決して限定的にはならず、普遍的なヒューマンドラマとして楽しめる作品になっています。

舞台は1962年のポーランド。修道院で育った戦災孤児のアンナは、修道女の誓いを立てる前に唯一の親類であるおばに会いに行くよう修道院長に言われ、はじめて修道院の外へと出ます。靴音や食器の音がしんしんと響く修道院と違い、街はあらゆる音で満ちている。それは後に彼女がおばのヴァンダと共に旅に出て知ることになる、善悪醜美が混沌とするこの世界そのものです。そしてそれは、神の教え以外何も知らない少女に唐突に突き付けられます。アンナはおばの口から、自分のの本当の名が“イーダ”であること、そしてカトリックである彼女がユダヤ人の血を引いていると教えられます。両親は戦時中に謎の死を遂げ、死体すら行方知れず。しかしヴァンダの何気ない誘いから、アンナは両親の遺体のありかを捜しに行くことに。こうして尼僧見習いのうぶな少女と、酒と男に溺れる自堕落な女の、血縁だけで結ばれた正反対の二人が、ひとつの車でポーランドを旅することになります。

しかしいざ旅に出たものの、アンナはあまり積極的ではありません。かつて国家の敵の粛清を担う検察官だったヴァンダは、気迫たっぷりに手がかりとなる男の一家を追究しますが、アンナはただ彼女についていくだけ。両親の仇かもしれない人物を前にしても、その姿からは強い感情を感じられません。それもそのはず、外の世界、俗世は本来彼女が属さない場所。そこへ突然自分の出自や顔も知らない両親の死の謎を聞かされても、まるで自分のことではないように感じられるのも無理はないのです。少なくとも最初のうちは。

だからこそ、ベールと固く初々しい表情に隠れてたたずんでいたアンナ=イーダが自分の意志で動くシーンのひとつひとつが我々の心をつかんで離しません。だらしないヴァンダを拒絶するシーン、階下の音楽に誘われて部屋を抜け出し、その黒い瞳でバンドの演奏をじっと見つめる姿、そして一日で唯一ベールを脱ぐ眠りの時間、静かにざわめく彼女の心……そこには隠しきれない、アンナ=イーダのみずみずしい驚きに満ちた裸の心が見えます。戦争の悲劇、音楽に踊る夜の街、人々のユダヤ人への嫌悪感、自分を好きだと言ってくれるひと――何も知らなかったアンナが旅の中で出会った世界の様々な側面が、彼女を何も知らないままではいられない“イーダ”に変えていく。そんな彼女の心の動きは、知られざる歴史の側面を知ってしまった我々の心の動きとも重なります。

そして次第に明らかにされるアンナの両親の死の真相、そこにヴァンダがこだわる本当の理由。しかし物語は旅の終わりのその先まで描かれます――過去の真実それ自体よりも、今までと同じでいられなくなってこれからいかに生きるかが生き残った我々の重要な問題だから。背負った悲しみを隠しながら生き延びてきたヴァンダ、その悲しみから生き残ったアンナ=イーダそれぞれの決着。そこから本当の物語が動き出します。そしてそこからが目の離せない展開です。『マイ・サマー・オブ・ラブ』と同じく、ラストシーンはひとりで力強く歩いていく少女の姿。彼女は“誰”なのか、そしてどんな心境だったのか、解釈は見る人によって分かれるでしょう。個人的な考えとしては(以下ネタバレにつき反転)、悲しみから生き残った“イーダ”とは、本当は内なるヴァンダであり、同時にアンナが生きてこなかった胎児内胎児の双生児のような存在、すなわち最後まで正反対だったアンナとヴァンダ二人の肉体に宿ったもうひとつの魂のようなものだったんだと思います。そしてアンナはイーダのために自分の体をあげた。そしてヴァンダの代わりに、彼女の中の生き残った悲しみ=イーダを幸せなまま葬ってあげたんだと思います。何も知らない無垢な肉体で、生きる喜びを肯定する“音楽”に抱かれて、幸せな未来を夢見たまま。だからアンナは大丈夫。これからも“イーダ”を、知ってしまった悲しみを忘れることはない、けれど大丈夫。彼女は最後は無事自分の家=修道院に帰れたと思います。ただ教えられたやり方ではなく自分の足で、自分の経験でもって人を、自らを救うことを進むことを覚えたのですから。(ここまでネタバレ)


以上で『イーダ』のレビューを終えます。
パヴェウ・パヴリコフスキ監督は「正反対の二人」が心通わせる「ひととき」を描く達人だと思いました。同監督の『イリュージョン』も見たい。



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こんにちは、コメントありがとうございます!
いえいえ、この映画のラストは見るによって違うと思いますので。ご意見ありがとうございます~。
ネタバレにならないようぼやかしてコメントするのが大変ですがw、確かに「イーダ」はアンナにとって知らなかった「生」で、ヴァンダにとっては過去を突き付ける「死」という正反対のものとして現れたということなのでしょうね……しかしラスト15分で物語が動き出すとは、本当に何を書いてもネタバレになるので書きづらいww短い返信で申し訳ありませんが、これからもよろしくお願いいたします!
2014.08.10 15:17 | URL | arnoldkillshot #- [edit]


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