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『ルビー・スパークス(原題:Ruby Sparks)』

Posted by arnoldkillshot on 15.2012 映画タイトル:ら行 0 comments 0 trackback
思い描いた恋人が、実在の人間としてやってきた!しかし現実の恋は、思い通りにはいかない……

『ルビー・スパークス(原題:Ruby Sparks)』
2012年 アメリカ
監督:ジョナサン・デイトン、ヴァレリー・ファリス
脚本:ゾーイ・カザン
出演:ポール・ダノ、ゾーイ・カザン、クリス・メッシーナ、アントニオ・バンデラス、アネット・ベニング、スティーヴ・クーガン、エリオット・グールド 他


あらすじ:
デビュー作で大成功をおさめた若き作家・カルヴィン(ポール・ダノ)は、最初の成功以来後が続かないにも関わらず〝天才〟と呼ばれるプレッシャーからスランプに陥っていた。彼はセラピーのローゼンタール先生(エリオット・グールド)のアドバイスから、夢に出てきた女の子をヒロインとした小説を書き始める。ルビー・スパークスと名付けた彼女について書いているうちに、本当に彼女と恋をしている気分になるカルヴィン。しかしある日目覚めると、部屋に本物のルビー(ゾーイ・カザン)が……しかも小説の通り、彼の恋人として!幻覚だと思って錯乱するカルヴィンだったが、確かに彼女が実在することを確かめると、ルビーと幸せな恋人ライフを送るカルヴィン。さらに兄ハリー(クリス・メッシーナ)に言われたとおり小説を書き進めると、ルビーもその通り変化するのだった。しかしありのままのルビーを愛したいカルヴィンは、小説を封印することに。だがルビーと共に実家に帰ってから二人はすれ違い始める。ルビーなしでは耐えられないカルヴィンは、彼女を〝書きかえる〟という禁じ手に出るが……
感想:
第2の〝ゾーイ〟の登場か!?『(500)日のサマー』そしてゾーイー・デシャネルの大ファンである私は、同作品を髣髴とさせるこの『ルビー・スパークス』、そしてヒロインのゾーイ・カザンに、そんな期待を抱いて見てきました。確かにロマンチストな男が理想の女の子に出会い、理想と現実の差に打ちのめされるというストーリーは一緒だし、キュートで辛辣、ロマンチックでシビアな魅力は両作品に共通しています。しかしそのベクトルは反対。『サマー』が青なら、『ルビー』は赤。『サマー』は音楽的、『ルビー』は哲学的。『サマー』が外に向かっていくとき、『ルビー』は内に向かっていく……だけどゾーイ・カザンは確かに第2の〝ゾーイ〟でした。とびきり可愛い文化系女子に私は弱いのです。まあみんなそうだと思いますが。

〝Ruby Sparks(ルビーがピカピカ)〟という、素敵な名前の女の子。赤毛に青い瞳、ミニドレスにカラータイツのカラフルな女の子。感受性豊かでちょっと情緒不安定、だけどそれが魅力。しかも(普通の女の子だったら間違いなく嫌がるであろう)『ブレインデッド』を一緒に見てくれちゃったり……な~んて都合のいいこと起こるわけねえだろ!と言いたくなりますが、もしそんな子が実在したら?でもってあなたの恋人だったら?名声とは裏腹に、スランプでどん底だった主人公カルヴィンでなくても、いい気分になるでしょう。
しかしここに哲学的な問題が浮上します。他人が実在するということは、自分の思い通りにならないということ。自己と他者の間にはフッサールの壁が、ロジャー・ウォーターズの「ザ・ウォール」が、ATフィールドが立ちはだかっています。他人と付き合うということは、すれ違ったり衝突したり、傷つけあうのをを受け入れることに他ならない。それがイヤなら自己の壁の中、孤独に生きるさだめ……しかし主人公カルヴィンは、人との関わりを避けながら孤独にも耐えられません。実在の他人を恐れ、都合のいい他人を妄想しつつも、実在の他人を求めている――なんかエヴァのシンジ君みたいですね。そんな彼にルビーという奇跡が起きてしまいます。思い描いた通りだからただでさえ魅力的なのに、そのうえ思い通りに変えられる女の子――なんてどこのエロゲだよ、じゃなくてとっても不思議でロマンチックですね!

ところで恋人を思い通りに変えられるなら、カルヴィンの兄ハリーのように「オッパイを大きくしたい」とか、男の妄想が膨らむところですが……なんとカルヴィンはルビーの中身を変えてしまうのです。ルビーとすれ違い、別れの危機を感じたカルヴィンは「ルビーはカルヴィンなしでは悲惨だった」と書き加えてしまいます――するとルビーはその通りに。ちょっと離れただけでも泣きわめくメンヘラ女になります。それがめんどくさくなってカルヴィンはまたさらに書き加え、まためんどくさくなって書き加え……書きかえても、ありのままでもうまくいかないルビーとの関係は、やがてカルヴィンを狂気に似た葛藤に誘います。さすが『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のポール・ダノ、ロマンチストが過ぎる内気な男が、次第に狂気じみた独占欲に走る展開はスリリングで、おそらくかわいらしい恋愛映画を期待した人はゾッとするんじゃないでしょうか。

そもそもルビーの小説を書くに至ったのは、セラピーの一環として、カルヴィンの飼っている駄犬=ダメな自分を「ありのままに愛してくれる人」の話を書くように言われたからでした。そこへ本物のルビーが現れたわけですが、カルヴィンはこの最初の時点ですでに間違っていたと思うんです。つまり、「ありのままに愛してくれる人が現れた」ではなく、「自分の創造物が現れた」と思ってしまったんですね。だからカルヴィンは、他人への尊厳をルビーに認めなかった。「ありのままの君がいい」と言いながら、それは自分の意志に反しない範囲だけ。なんて器の狭い男でしょーか、ありったけの魅力を持った女の子に、しかも自分を愛してくれる女の子に、ちょっとの誤差も許そうとしないなんて!人間が星の数ほどいる中で、他人が自分と関係を持ってくれることの尊さの前では、自分の好みや理想なんてちっぽけなものにすぎないのに。
『(500)日のサマー』のダメ男トムにも共通して言えることですが、どんなに相手が自分の思い描いた通りに見えても、その人は決して、自分が望んだから存在しているわけではない。わかりきったことですが、自分と同じように相手にも自我があるのです。だから人との関係で、裏切られたり、失望したり、決別したりするけれど、実はたいてい自分のせい。自由と独立の上に存在する他者に、自分の理想や期待を押し付けたりするなんて傲慢なんです。そうなると人間関係なんて絶望以外の何物でもない気がしますが、そうなんです。他人と生きるためには、期待せずに絶望を受け入れなくてはならない。そして「愛する」とはまさに、他人の自由を願うこと――それはどこまでも自分を殺すことです。そんなこと言うとまるで希望がない気がしますが、そんな自己犠牲にこそ、人は他人という存在に心を打たれるのではないでしょうか。それはキリスト教が世界の半分を支配している秘密であり、愛の奇跡なのです。たぶん。

ロマンチックな恋愛ものを期待した人たちは、シビアな人間関係の壁に立ち返りハッとすることでしょう。おとぎ話のような可愛い雰囲気に惹かれた人たちは、うっかり根暗な哲学に足を踏み入れてゾッとすることでしょう。しかし「思ってたのと違った」感にガッカリしてはいけません。この映画の教訓は、自分の理想を押し付けず、ありのままを受け入れること。だからこの映画のキュートな外見と深遠な中身のギャップ、その2つが合わさって観る者に訴えかけるメッセージを受け入れるのが大切です――それもただの架空の物語としてではなく、現実に通じるものとして。


以上で『ルビー・スパークス』のレビューを終えます。
バンデラス・サプライズをはじめとする豪華なキャストや、『ブレインデッド』をデートシーンに入れるなど、映画オタクには嬉しいマニアックな要素がいっぱいの本作(あとサリンジャーへの言及も文化系って感じですね)。やっぱり映画オタクにとって、『ブレインデッド』を見ながらイチャイチャするというのは夢のような関係なんでしょうか……


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