Loading…
 

スポンサーサイト

Posted by arnoldkillshot on --.-- スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ヘンリー・ジェイムズ『デイジー・ミラー/ねじの回転(Daisy Miller/The Turn Of The Screw)』(岩波文庫・行方昭夫訳)

Posted by arnoldkillshot on 15.2011 本の紹介 0 comments 0 trackback
ヘンリー・ジェイムズ『デイジー・ミラー/ねじの回転』(岩波文庫・行方昭夫訳)を読みました。

『デイジー・ミラー』は普段まったく読まないタイプの小説なのですが、なんだかとても心に残りました。ヨーロッパの美しい舞台で展開される、無邪気で遊び好きなアメリカ娘のデイジーと、彼女の奔放さに振り回されながら困惑するウインターボーン青年の関係は19世紀の小説ながら現代に通じるポップな切なさを感じました。ヨーロッパの古い価値観から見れば軽薄で下品に見えるデイジーは、蓮っ葉な女性では決してなく、ただただ若い無垢な心のままに無邪気に振舞っていただけで、誰もその無垢な魂自体を見ることができなかったという悲しさが、読み終わった後も尾を引きます。個人的な見解ですが、映画化するなら先日紹介した『(500)日のサマー』のマーク・ウェブに撮らせたらぴったりなんじゃないかな、と思いました。

『ねじの回転』は、子どもを正しく教育しようとする大人と、彼らが入り込めない子どもの無邪気かつ不気味な世界の対立を幽霊を媒介にして描いたとても巧妙な心理小説だと感じました。若い女性の家庭教師は、天使のように愛らしい幼い兄妹マイルズとフローラの教育を任されますが、その屋敷で幽霊を見ます。そしてこの屋敷にまつわる以前の家庭教師と下男クイントの不純な関係と二人の奇妙な死を知り、子どもたちが彼らの幽霊に魅入られていると信じるようになるのですが、この幽霊がはたして本当に実在するのか(幽霊出現説)、それとも仕事のプレッシャーや期待、そして前任者の忌わしい結末で追い詰められた家庭教師の妄想なのか(女家庭教師妄想説)など、色々な解釈があるようです。
わたしの解釈ではその中間で、幽霊は家庭教師だけでなく子どもにも見えているけれど、見ている“領域”がそれぞれ違って、子どもたちにとっては誰も入り込めない秘密の世界の仲間として幽霊を見ているけれど、彼らを教育する立場にある家庭教師は、だれにも頼れない不安やプレッシャーを幽霊に帰することで幽霊を悪しきものとして見ている、と感じました。そして家庭教師の目から見える幽霊は子どもを悪の道へ引きずる恐ろしい存在と見えるのですが、それは実は彼女自身を映し出すものなのです。彼女は幽霊が子どもと関係していると知っていくうちに、彼らを守ろうとしてヒステリックになっていきます。幽霊という現象は大人の理解できない子どもの領域を象徴するもので、だからこそ家庭教師はそれを不気味に感じ、大人に理解できないものはすべて悪しきものとみなして排除しようとします。しかしどんなに不気味に見えてもそれこそ子どもの本質であり、大人にその秘密の世界を暴かれれば子どもたちの魂は脅かされます。そうして家庭教師にとって幽霊の存在が恐ろしくなるに伴い、彼女自身も子どもたちにとって恐ろしい存在となるのです。だからこそあの結末になったのではないか、とわたしは思います。

いつものように以下に心に残った部分を引用します。

スポンサーサイト
  

プロフィール

arnoldkillshot

Author:arnoldkillshot
ブログの説明:
私Arnold Killshotが好きな映画、音楽、本について紹介していくブログです。
主なコンテンツは
①劇場・DVDで観賞した映画のレビュー(主に洋画、ホラー映画)
②洋楽の歌詞の翻訳とビデオの紹介
③読んだ本の紹介
④海外記事の翻訳(新旧問わず、インタビュー記事など)
などです。コンテンツは徐々に増えていくかもしれません。

Twitter

タグ検索

全記事表示リンク

カウンター

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
未設定
--位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
未設定
--位
アクセスランキングを見る>>

FC2アフィリエイト

人気ページ

検索フォーム

QRコード

QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。